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本小松石は箱根火山噴出の溶岩(輝石安山岩)です。繊密で耐火性が強く、良く磨き上げると青黒い光沢が美しく、関東では高級な石として墓石、建築材、庭石、モニュメント、工芸製品として幅広く利用されています。 本小松石が広く用いられ始めたのは鎌倉時代のこと。 いまでも北条氏一族の墓石や長谷の大仏など、諸寺に数多くの本小松石を見ることができます。

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真鶴が石材の産地として有名になったのは、徳川家康が江戸幕府を開いた頃(1603年)です。徳川氏は江戸城の大工事や町づくりにあたり、小田原の田中善左衛門を石工棟梁に任命しました。 当時の真鶴は石材搬出には都合が良く、この近辺随一の良港を持っていました。銘酒、五味伊兵衛が善左衛門に協力して石材の江戸運搬を引き受けたのもこの頃のことです。 江戸時代の300年間、幕府の命による石材の提供のため、紀州、尾張、水戸のいわゆる御三家及び松平家、黒田家などが各所に丁場(採石場)を開いて石材を切り出し、江戸へ送りました。 なかでも黒田長政は、後に「小松石」と呼ばれる良質の石材の開発に大きく貢献しました。 「小松石」の名は、真鶴町旧岩村小松山に由来しています。今日、「小松石の」名は真鶴以外の産地の石にも付けられていることから真鶴産の石は特に「本小松石」と呼んでいます。 今日まで、真鶴の石材業は良質の石材を大量に各地へ輸送し続け、優れた技術によって立派な建築物を提供してきました。

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「小松石」の名は、真鶴町旧岩村小松山に由来しています。今日、「小松石の」名は真鶴以外の産地の石にも付けられていることから真鶴産の石は特に「本小松石」と呼んでいます。 今日まで、真鶴の石材業は良質の石材を大量に各地へ輸送し続け、優れた技術によって立派な建築物を提供してきました。

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